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パヤタイ宮殿 Mekhala Ruchiメーカラルーヂー邸 [バンコク旅行]



今回修復工事中とのことで行かなかったのがドゥシット離宮エリア。
ラーマ5世の功績やコレクションを展示した博物館で、
西洋建築ではあるもののタイの伝統的建築の様式を取り入れ
チーク材でくみ上げられたウィマンメーク宮殿や
旧国会議事堂のルネサンス建築のアナンタサマーコム宮殿等の他、
実際に国王家族が生活されているチットダラー宮殿などもあるとか。

そんなドゥシット離宮から建築工事の進捗状況を見るため
ラーマ6世が移築させたパビリオンが2番目の見学地、メーカラルーヂー(メカラルチとも)邸。

瀟洒な別荘のようにも見えます。
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(化粧?)梁や柱が使われていることから山荘風のイメージも。
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緑の色ガラスの先も緑。
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宮殿の別棟ではありますが、安らぎの空間のように感じられます。
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青い色ガラスもふんだんに使われているのは涼しさを求めてのことかしら?
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こちらも土足禁止。履物を脱いで上がることになっておりました。
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日本だと政財界の大物の別荘や居宅の一角の洋館といった感じで、
映画やドラマのパーティーシーンにでも出てきそう。




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パヤタイ宮殿 テーワローサパーロム宮殿 [バンコク旅行]



ランチの後カフェ・ド・ノラシンのスタッフさんに
「パヤタイ宮殿はどこですか?」と尋ねると、
「ここですよ」
「そうじゃなくって中を見学できる宮殿」
「ああ、それならこの向かい」
「!」

パヤタイ宮殿では曜日を限って午前と午後に館内見学ツアーが。
カフェの入口を探すことにすら戸惑った身としては
さて、どの建物に行けばいいのだろう?とハードルの高さを心配せずにはいられなかったのですが
なんとこの渡り廊下のカフェ入口の反対側正面が見学受付!
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ツアーは無料で受付で名前を書いて入館証をもらうだけ。
日本語パンフレットもあり、ツアー開始まで裏手の展示を見学しておりました。

こちらパヤタイ宮殿は
タイの西洋化を促進しようと、タイ王室で初めてヨーロッパ留学したラーマ6世が建築。

因みに父王ラーマ5世は「王様と私」で有名だとか(西洋人の家庭教師に影響を受ける)。
ラーマ6世も近代化路線を引継いで改革を推し進め、1925年に崩御。
けれども異母弟のラーマ7世在位中に立憲革命が起きイギリス逃亡・退位、
ラーマ8世(5世・6世の甥)が欧州留学から一時帰国して即位となったのですが、
学業終了後帰国したその翌年に謎の死を遂げるという暗黒の歴史が。
そこに現れたのがラーマ9世。先般亡くなられたプミポン国王!
1946年から2016年まで在位70年!?

陛下、イケメン~[黒ハート]
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展示は、3年前に崩御されたプミポン国王の生涯に関するもので、
ラーマ5世の孫(父王子ってラーマ5世の69番目の息子)でラーマ8世の弟。
でもアメリカ生まれで就学はスイス、家族写真なんかみるとがっつり西洋風で
お母さまの髪型なんかも最先端を行くフラッパースタイル。
兄の怪死後、馴染みの薄い母国に帰ってというよりやって来て
内憂外患の舵取りをしないといけないということは
どれほどの覚悟がいったことかと察せられます。
(というか腹を括ることが連続の生涯?)
とはいえ波乱万丈な中にもウィキを見ればスポーツや趣味に没頭されたり、
お茶目なお人柄を伝えるエピソードもあって、ほほっ、ファンになってしまいそう[黒ハート]


ボランティアスタッフによる見学ツアーはタイ語によるものでした。
スタートはテーワローサパーロム宮殿から。
この解説というのが…結構長くて途もうこの場で脱落して去って行く人も。


ウイーンかと思ったワ!な、色味と形状。
オットー・ヴァグナーの地下鉄の駅シリーズを連想してしまいました。。
建物前後のアーチはミュシャを思わせるような装飾でちょっとばかりビザンチ~ン[ぴかぴか(新しい)]
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内部も多分に中欧(オーストリア・ハンガリー帝国)的。
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ここにラーマ6世の母后がお暮しだったというのだけど…どこでどんな風に?
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右側に見えるのが敷地続きのラーマ6世の名前を冠した近代的建物の病院。
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ヨーロッパで暮らしたラーマ5世が当時の先端を行くスタイルを取り入れて造られたのでしょうね。



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パヤタイ宮殿 とまどいのカフェ・ド・ノラシン [バンコク旅行]



BTSのヴィクトリーモニュメント駅で下車、
戦勝記念塔(1940年の対フランス領インドシナ紛争の戦没者の慰霊)のあるロータリーを通って向かった先は
パヤタイ宮殿。

昼時のラチャテウィ通りはなかなかの日差しで
じ~わじ~わ身体を蝕まれる感にさいなまれながら
まだ着かないのか~? この道でホントに大丈夫なのか~?と、歩くこと10分足らず?
緑豊かな大きな公園らしき柵が見えてきて「あっ、ここ?!」と思ったら病院!
でもその地続きの先に宮殿はありました。

いくつか瀟洒な建物がある広い敷地の中で最初に向かったのは「カフェ・ド・ノラシン」!
わりとすぐわかりました。
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でも…入口どこーーー?!

建物内に人がいるのは見えるのだけど、ちょっとやそっと回り込んだだけでは見過ごしてしまい、
180°裏手に回ってみて、見つけるには見つけたのだけど、こんな感じ!
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でも…どうやって入るのーーー?!

入口は無人で、表には下駄箱が。
中では営業されているのが見えるのだけど、
案内を受けずにズンズン入っていく訳?
室内にはどこから入れば?
スリッパが置かれてるわけでもなく途方に暮れていると
中から入口脇のトイレに出てきた女の子たちがいて、尋ねてみれば、どうやら裸足で上がるみたいで、
あっ、この正面のが入口扉になってたの~?!と。

入店! 入口扉の内側! お洒落過ぎて扉とはわかんなかったw
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わーい!ブタペスト辺りのカフェみたい[黒ハート]
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外からの印象だと格式高い雰囲気で、ベテランのボーイさんが慇懃に迎えてくれそうな感じだけど
フレンドリーなお姉さんたちがテキパキと案内してくれたワ~。
結構な混み具合で、
とりあえず空いている席に通されたけど、窓際が空いたら移動を勧めてくれました。
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レトロな革の表紙のヨーロッパのカフェのようなメニュー。
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注文したのは
ほうれん草のパイだかキッシュだったかとサラダ付きのソーセージ、スパゲッティ。
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そして名物らしい「ムーケム」。
干し塩豚と食パンということで、パテみたいなのをイメージしてましたが、
予想とは違ってエスニックな汁物といった感じでした。
何だか給食的ミスマッチ感。
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飲み物は今時風の容器。
わっ、オレンジというかテラコッタ色の飲み物は何?!って感じですが、普通にアイスミルクティー。
タイ風だとこんな色になるみたいです。
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建物の印象とは大いに異なり、
病院から流れでランチに来ていると思しきお客さんも多数いる
身内や友人同士の地元の人と観光客が半々のような全然飾らないカフェでした。
この建物に裸足というのが面白かったワ~。





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ジム・トンプソンの家 [バンコク旅行]



わたくしなぜか…ヘンな勘違い?!

昨今巷を賑わしているヘンリー王子の王室離脱の一件、関連して思いだしたのは
英国王室って、昔も王位を捨てて恋を選んだ王室離脱者がいたのよね、ってこと。
「王冠を賭けた恋」とかいわれて、
えーっとえーっと…名前はね、思い出せないけどお相手はシンプソン夫人!

改めてウィキに目を通すと
1930年代、国王になることを約束されていた王太子が既婚者シンプソン夫人との恋におち、
エドワードⅧとして即位したものの彼女と一緒になるため退位したという事件!

その後はウィンザー公という称号が授与され王室からは手当も出ていて
ヨーロッパやアメリカ各地でウィンザー公としての扱いを受け、
英国植民地のバハマ総督として赴任したこともあるとのことなのですが…

わたくし、どういう訳か「王位より愛」のその後の二人の暮らしはひっそり穏やか、
タイなんかでの隠遁生活といったイメージがありました。

が、何故にタイ?!
勝手な思い込み~~ww

これって…単に「シンプソン」と「トンプソン」が似ていたから?!?!
多分そうなんだワ~[あせあせ(飛び散る汗)]ww

で、改めてトンプソンって誰?ってことなんですがw

ウィキによると略歴はこんな感じ。
アメリカの裕福な家庭に育ち、建築家を経て陸軍入隊、
ヨーロッパ戦線で諜報部員として活動後、インドシナで終戦を迎え、そのままタイに逗留。
タイ・シルクの復興と売り込みで欧米で大成功を収め、
マレーシアで友人の別荘滞在中に忽然と姿を消し、その後は不明(失踪、誘拐・他殺説も)。

タイシルクの人気を押し上げたのは映画「王様と私」の衣装がきっかけだとか。
オリエンタル・ホテルの経営にも携わったということで、
これを知って訪れていればまた違った感慨があったかも。

…ということで、ジム・トンプソンの家!
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写真は外観と蓮の花のみ?!w

英語ツアーで案内された家の中は風のよく通りそうな(一方で豪雨は大丈夫⁈)二階建ての木造建築で、
いくつか連なる東南アジアらしいインテリアの貴族の邸宅のような部屋に
陶磁器や漆の調度や展示品が並べられていました。
タイシルクを世に出した実業家というイメージだったけど、
古美術の収集家でもあったのだとか。
主にタイ・カンボジア・ビルマのもののようですが、中国っぽいものや、中には京薩摩的なものもあり、
もはや美術館?!

ファッション関係のやり手のおじさんというイメージだったけど、
現地の案内によるとこの建物周辺に職人を住まわせてプロデュース。
美術に対して見識が高く
経営者としての能力にも秀でていたのだと推察されます。

同時に諜報部員の過去と政財界、欧米に繋がる人脈。
ドラマチックな濃い人生だわ~。

ウィキを見たことで、ウィンザー公とシンプソン夫人というのも
英王室との繋がりを完全に断ったわけではなく、欧米の権力への影響力を保持していたことから
王位をなげうってでも二人の世界を選んだという恋一筋のイメージがガラリと変わったのですが、
ジム・トンプソンという人物も、タイシルクを中心にハイブランドを立ち上げた審美眼とプロデュース力を兼ね備えた実業家といったイメージだけではなく、少々きな臭さが漂うことに?
でも、軍や政財界に通じる外国人にはどうしても諜報活動疑惑というのがつきまとう時代だったのかもしれませんわね。
「マタ・ハリ」とか「間諜X27」とか色々映画もあったりして、時代そのものがドラマチック~。





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バンコクの足 BTS [バンコク旅行]



バンコクでは二か所のホテルに宿泊。
一軒目は、日本人が多く住むというインフラの整った高級住宅地スクンヴィットの西の端っこの方?
(一応住所表記はスクンヴィットなのだけど、そういった雰囲気はない)
少し歩けばオフィスや商業ビルの立ち並ぶ大通り・ラーマ一世通りに続くスクンヴィット通り(プルンチット通り)に出て、
この通り沿いのプルンチット駅(ここから西側がラーマ一世通りに道路名が変わる)から
よく利用していたのがBTS(スカイトレイン)。

ウィキによると「バンコク マス トランジット システム」の略らしいです。
高架を走行しているのだけど、モノレールではなく、普通の線路。
旅の前半は一日乗車券を買ってフルに活用していました。
区間乗車券を買う時は券売機を利用していたけど、小さな窓口に結構人が並んでたでしょうか。

最寄り駅のスクンヴィットから二つ目のサイアム駅は乗り換え駅で、この辺りは一番の繁華街。
初日はパヤータイ方面に北上したり、スクンヴィット線からシーロム線に一駅ばかり乗り換えて
ジム・トンプソンの家に行くのに使ったり。

分かりやすいく便利な交通機関でした。
バンコクって、ラッシュ時は時間が読めないほど道路が混雑するので、鉄道って有難いのですよね。
ただ、こちらも時間帯によってはとても混むようで、
そんなときは始発駅なんかではギュウギュウに乗らないのがマナーらしく、
何本か見送って乗車することもあるそうな?

困ったのは土地勘みたいなのがないため、
どちら側のホームかが分かりづらかったことでしょうか。
案内板には「〇〇方面」みたいにその先の有名駅が表示されてることが多いので
自分の行きたい駅がはたしてどちら側なのか迷うこと数回。
結構勘で乗りましたww 当たらないけど!
調べるより「でも、反対側に乗ってもまた逆戻りすればいいや」な感覚。

1999年の開業ということですが、ホームドアもついていてキレイ。
しかもホームドア、日本よりずっとオシャレ~。

車両は派手なラッピングを施したものが多かったです。
なかなかお洒落な絵や写真の車両の撮影が出来なかったのですが、
ほぼほぼラッピングされていて、
ほぼほぼ窓までまるまる模様がついているのにはオドロキ!
…というのを鉄ヲに話したら、こちらでも走ってるって?あらそうなの。。

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エトランジェの冒険 [バンコク旅行]



…なんか、何度トライしても記事の末尾がどうしても勝手に削除されてしまうので、
冒頭に回しました。

下記の※~※は本来末尾にある部分で後から読んでね~って部分なのですが、
キチンと反映されてる場合はナシでお願いします(;^ω^)

※大まかな地図は頭に入ってたので、現在地がはっきりしてすごーくよく理解できほっとしたけど、

この線路が、初めに予定していたU字の南下する道路を一筋平行移動したようなもので↑_↓↓、
線路が交差する大通りというのが、近代的なビルの立ち並ぶ目抜き通り。
↓と↓の距離って、大通り側だと家2,3軒分ぐらいのものだと思うのだけど
なんかすごいカオス感で運河側では広く感じられたワ~[あせあせ(飛び散る汗)]
しかも線路歩くってメチャ悪路だしw

旅行初日に旅行随一のディープなバンコクに遭遇?!
じわじわと暑くなってきたし、とにかく緊張感で疲れました??

…ということで地図で確認してみたら平行というより扇状になってたのね
地図3.jpg



バンコク到着後一番最初にしなければ!と念頭にあったのが、両替!
関空でも少しはしていたものの、レートが悪いということで、
ネットで調べていた繁華街の有名両替店に向かうとことにしてました。
そのルートというのが
一旦南下して↓一駅西にBTS(スカイトレイン)に乗って←、また北上↑するという逆U字移動。

ホテルの裏には運河が通っていて、
そこには地元民の足となっている水上バスがあるとの情報を得ていたのですが、
ネット情報によると慣れないと乗下船が困難というか
(到着前から待ち構えてスピーディーに行う必要があるとか)、
乗船中も「死の水」とよばれている運河の汚水の水しぶきにかからない注意が必要とあり、
かなりのハードルの高さを覚え却下ということでクラノスケとも意見が合致しておりました。
でもホテルから通りに出ると、屋台があったり、運河の気配が感じられたりで
「ちょっと見てこよっか?」と興味津々。

運河沿いには小路もあり、
写真を撮ったりしている間に高速でボートも通過!
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で、そこでクラノスケからこの道沿いに直進したらU字ルート↑_↓の上の繋がってないところを近道できるのでは?との提案が。
えーっ、地図の感じだと途中で分断されてるような気がするけど、大丈夫~?とか
一応心配もしたけれど、
元々こんなプチ冒険はわたくしの方がお好きなので一応同意。
運河沿いにまっすぐ西に向かって歩いてみることに致しました。
丁度前からOL風のおねえちゃんが歩いてきて、あー繋がってるんだと思ったのでしよね。

が、運河沿いに直進するわけではなく男の人たちが脇に腰かけて喋ってるような小路に入り込み、
次第に人んちの軒先程度の、不法建築っぽい家と家に挟まれた凡そ路地とも言えないようなスペースを
曲がったり段差を上下しながら潜りぬけ
ビンビンに余所者感を放ちながら通過することに…!

漸く通り抜けた先は…線路!
線路の両側に家&商店?!
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足元の悪い線路道路を移動すること多分10分ほど。。
鶏も飼われてたわん

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大まかな地図は頭に入ってたので、現在地がはっきりしてすごーくよく理解できほっとしたけど、
この線路が、初めに予定していたU字の南下する道路を一筋平行移動したようなもので↑_↓↓、
線路が交差する大通りというのが、近代的なビルの立ち並ぶ目抜き通り。
↓と↓の距離って、大通り側だと家2,3軒分ぐらいのものだと思うのだけど
なんかすごいカオス感で運河側では広く感じられたワ~[あせあせ(飛び散る汗)]
しかも線路歩くってメチャ悪路だしw

旅行初日に旅行随一のディープなバンコクに遭遇?!
じわじわと暑くなってきたし、とにかく緊張感で疲れました??

…ということで地図で確認してみたら平行というより扇状になってたのね

地図3.jpg





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日本人にしては図々しい? [バンコク旅行]



昨年末、タイのバンコクに行って参りました。
特別何がみたいとかはなかったけど、クラノスケの希望で。

勤務先の団体旅行(といっても10名足らず)でシンガポールと一緒に4泊5日で駆け抜けた
確かわたくしの人生二度目の海外旅行先?
印象はとても良かったのでいずれはもう一度行きたいとは思っていたのですが、
ツアーじゃないと回れないほど市内交通網は未整備で、ラッシュ時の道路は時間がよめない混雑ぶりとの印象が強く、いずれまたね~で先延ばしになっておりました。

でもどうやらBTS(スカイトレイン・高架鉄道)やMRT(地下鉄)なども着々と建設され、
水上バスやちょっとタクシーを使えば楽に移動できそうな?

…ということで、早朝空港に到着!ARL(エアポートリンク)で…ではなく、
そこは荷物もあるということで予約しておいたスワンナプーム空港-市内貸し切り送迎車で移動w
(ホテルはスーツケース付きで行き着くことに困難を感じる場所)

車の予約サイトには空港での出迎え場所のゲート番号と画像まで貼られてたけど、
入国ゲートを出てすぐ場所という訳ではなく、空港内を結構移動した上
その場所に着いてもそこは一大出迎え場所みたいな感じで
なかなかネームプレートを見つけることが出来ず…。
見つけてしまえばなんてことはなかったのだけど、
周辺に尋ねたりなんやかんやの上まあまあ無事会えました。
(ドライバー本人ではなく複数口請け負った案内係員が待機していると書き込みにあったのですが、
おばちゃんではなく若い兄ちゃんだったしw)

ラッシュ時にはまだ早い明け方だったし、土曜だったし、
ホテルがバンコク市内中心部でも空港寄りだったこともあってあっけなく到着しそうだったのだけど、
あーやっぱりお願いしておいてよかったワな雰囲気のエリア。
高速を降りて大通りに出て、すぐ徐行必至の道路に左折したらその突き当たりみたいな場所でしたが
屋台がちらほら、そして徒歩10分もない距離にセブンイレブンが3軒といった感じで
ものすごーく生活に根差したような土地柄!
この奥にラグジュアリーなホテルがあるなんて思えないというか、
この道でいいの?と絶対不安に思うかと。
そして守衛さんのいる門を見つけると、あーやっぱりここでよかったんだーとww

車寄せ状態で建物から庭に突き出し、すぐプールサイドに通り抜けられる小さなロビーでは
フレンドリーなスタッフさんがすぐにチェックインの受付をしてくれました。
でも規定の時間まで部屋を使うことはできず、とりあえず荷物を預かってもらうことに。

ほほほっ、そして出発前家族内でこれどー思う?的な検討会がもたれたオファーを。

今回申し込んだツアーもココ家ではよくある
航空券とホテルをセットにしたものをベースにしたアレンジ自由ツアーでした。
ちょっと割高になってしまう可能性はあるのだけど、自分の好きなホテルに変更してもらったり、
自己手配で他のホテルに延泊したり。

このホテルはセットになっているのを自分で探したホテルに変更してもらった分だったのですが、
どうやらレストランが有名らしい?
そして朝食もそこそこの値段がするみたい?
…ということで、事前に予約の確認と荷物預かり依頼とともにちょっとしたお願いをメールしておいたのですが、
そのお願いというのが、
「朝7時頃の到着になります。その次の日は早朝メークロンの水上市場ツアーに出かけます。5時50分に迎えが来るので朝食を食べられません。ホテル到着時に翌日の分の朝食を頂けますか?」
というものw

「ねえねえこれって意味わかる?」
「ねえねえこれって図々しいかな?」
と、鉄ヲとクラノスケにきくこと数回。

揃いもそろって英語力には不安がつきまとう家族ですが、
それぞれそれなりに有意義なアドバイスが。
要求を先に書いて理由を後から述べよとか、
この書き方だと単に着いた朝に朝食を食べていいか、自腹で?って解釈されるよとか、
相手も母国語じゃないんだから不要なのはそぎ落としてできるだけ簡潔にとか。
今はネットで翻訳ができちゃうから、英語力っていうよりはむしろ
どれだけ直球な日本語を放り込むかということですわよね。
そして、あちこち文例の雛形検索してどれだけ丁寧なお願いに感じてもらえるかというw
でないと当日口頭で交渉なんか絶対ムリムリ~~!ww

ということで、送信&返信メールを印刷してきたものを見せ、朝食に[黒ハート]

丁度ウェルカムドリンクも運ばれてきてそのままプールサイドのテーブルに。
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この日はそれぞれフレンチトーストとパンケーキをオーダー
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なんか撮り忘れてる気もするけど、ヨーグルトの器が大きかったの憶えてるワw
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プールの傍にはシャワールームもあり、お化粧したりできたのも助かりました。

そこでわたくし、ちょっとしたミスを。
バンコクでは今でも個室におおきなダストボックスが備え付けられていたら
トイレットペーパーを流せないということで…。
空港なんかもほぼそんな感じで一部を除くとみんなそう。

こちらでも流しちゃいけない、流しちゃいけないと思うのですが、
つい、無意識のうちに…

あっ!と、思ったら便器内に捨てておりました。[がく~(落胆した顔)]

で、どうしよう~と思ってとりあえずトライしてみたのが、
その辺の枝切れみたいなので取り上げること!
丁度プールサイド周辺ではお掃除とか水やり中してたのを見てたので入口にあったゴミ箱を覗いたら、
30㎝以上ありそうなしっかりとした硬ーい葉柄の葉っぱが捨てられていて
うまい具合に拾えてゴミ箱にポンって。
トイレ詰まらせて損害賠償なんてイヤだから気を付けなければ~。

そんな感じでバンコク第一日目がスタート致しました!








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寿 初春大歌舞伎 [芸能関係]



話は前後しますが、新年初めての外出は、久々の歌舞伎でした。
壽初春大歌舞伎

ここ何年かはシネマカブキはみても、生の舞台は…。
元々生の舞台なんてよほどのことがない限り、いずこからかチケットもらったときぐらい。

今回は母の若い知人から回ってきたものでした。
それも、本人が買ったとは思えないw
職場に回ってきた?

昼の部の観劇で、
「九十九折」は京都が舞台、
「大津絵道成寺」は大津、
「酒屋」は大阪。
世話物の和事や舞踊で、
馴染みのある言葉や土地柄が生々しく、出来事が身近に感じられる演目でした。

何の予備知識もなくのぞんだので、
お芝居は台詞をきいてストーリーについていくのに一生懸命な感がありましたが、
大津絵道成寺は舞踊、
ひたすら目で楽しませてもらうだけの舞台で、
うっかりすると見逃してしまいそうな早変わりが何度か。
どこまでが本人なのかと追うのに必死でしたw
それほどお見事!

花道で向かい合った二人がさっと衣装を交換して入れ替わって
えっ、どうなったの?どうなったの??と、判っていても頭がこんがらがるような!

舞手はらぶりんこと愛之助丈。
艶やかな藤娘姿から、最終的には鬼の姿に。
大詰め迎える頃、最終形態の二つ三つ前に気づいた「これって、大津絵やん~!?」w

高校生の頃うちの実家が建てられたとき、叔母から新築祝いに送られてその存在を知ったのですが、
その絵は鬼。
なんでこんな民芸ちっくなヘンな絵を?と暫くは疑問だったものの
二大代表モチーフの藤娘とともに、護符的役目もある有名な土産物と理解した訳ですが。

とはいえそれでも藤娘と鬼しか思い浮かばないわたくしだったのですが、
次々と舞台にでてきたものそれぞれが大津絵のモチーフだったわけなのですね。
(今検索して判った!w)
例えば、鯰とか、唐子、寿老人、犬、座頭、船頭、鷹、鷹匠、雷公…。

舞台には最初から大きな鐘も釣られていて、ンン?道成寺もどき?と思っていたものの、
わはは、こちらも『タイトルそのまんま「大津絵道成寺」やないか~い!』と、気付くというw

因みにこの鐘って三井寺のものだから、
「いのう、いのう」(帰ろう、帰ろう)と鳴いたという「弁慶の引き摺り鐘」だと思うのですが…
と、今書いていたら、
えっ、終盤出てきたのは弁慶だったのか?!
弁慶も大津絵のモチーフ?!と、判明したというw


相変わらずせわしない幕間ランチ(お豆腐やさん)
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ここの建物はお好きなんだけど、内部は外部の意匠がみじんも感じられないというIMG_20200105_154043.jpg

今回は頑張って着物きたワ~w
一番後ろでよかった
帯が邪魔で前寄りにこしかけることになるし、頭でかいしw
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キャンギャではないけれど Ⅳ [GB]



新春2本目、お芝居観てきました~!
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接点というかきっかけその1はコチラ。
今自分のブログを検索したら2013年で驚きだったのだけど、
ゲキ×シネで初めて目にした劇団新幹線の舞台に超感動!
(その後も他のシリーズ見に行ったけど、こちらが良かった!)
https://www.youtube.com/watch?v=95jcfnUwfSc
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女形姿でも評判の中性度の高い早乙女氏でしたが、
ムチャクチャ美味しい役回りで強く印象に残っておりました。

接点というかきっかけその2はコチラ。
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あ、違った!コチラ!!
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エアギタリストの舞台は初演こそはギター同様ハラハラ[あせあせ(飛び散る汗)]ものではございましたが、
その後ライブビューイングで拝見した舞台はいずれも素晴らしく、
一度は生舞台を観てみたいとの思いが…!



ははっ(≧▽≦)ノ!、キャン様通常発進!ww

画像

興味あるお二人が揃ってご出演?
しかもキャン様今まで東京でしか出演されなかったしこれはチャンスとばかりに観劇決定!
事前リサーチではどんな役柄かとか全然判らなかったのですが、
とにかくこちらのコスチュームに期待度[グッド(上向き矢印)][グッド(上向き矢印)]


オープニングは早乙女氏の花魁姿から。

おぉ~これは色街が舞台なのかとワクワク♪

蜷川氏演出による「近松心中物語」みたいなのかしら~?
でもキャン様ご出演なのだから派手な殺陣のアクションなのよねきっと~とかドキドキ♪

その後もお馴染みの歌謡曲等での舞が続き、
一緒に出演している早乙女氏の弟君はちょっと必殺の勇さんを思わせるような粋な男舞。
バックの踊り手さんたちと和傘がくるくるしてかっこいー!
…で、その辺りから感じたあれ?これは舞踊ショウ?

プロローグだとばかり思っていたけどひたすら舞が続き
まるで宝塚のフィナーレのよう?
小道具や着物なんかもラメやスパンコールでキラキラしてるし。

安心安定の早乙女氏の舞は、天才や~!と思った映画「座頭市」の頃と変わらずお達者!
着物や帯も綺麗でした。
最近自分の着付けが気になるから、ついついそっちも気になってしまったワ。
もちろん他の方々も申し上げるまでもなく、あちこちからは大向うの声が。
(一曲だけバックダンサーをどう捉えていいのか判らない踊り手さんがいらっしゃいましたw
 「カモメ~が飛んだ~♪」という往年の有名曲だったのですが、
 あ、あれは、カモメの衣装??ここ、笑うとこ?)
とにかく華麗でテンポの良い舞の連続。
「夜桜お七」とかきいたことのある曲ばかりで観客も馴染みやすいものでした。

で、一部が終了。
15分のトイレ休憩。
二部は全くのお芝居で、あー、大衆演劇ってショウあり演劇ありって構成なのねと納得。
早乙女氏は黒の着流しのやさぐれた浪人風で派手さもなく前半は少々退屈でしたが、
後半は、大勢+氏が長距離を駆け抜けるというシーンが秀逸で、
ストーリーも盛り上がったり殺陣もあったりで大団円。

で、二部の終わり。
またトイレ休憩…かと思いきや、
物販が。
物販紹介だけではなく、実際に客席を回る俳優さんからお買い上げ&…
舞台に座る早乙女氏から手渡しと握手!
抽選または高額購入のお客様はその後チェキのサービスもあるのだとか?

列がなくなったら物販タイムは終了、
そしていよいよ第三部、
キャン様出られるのねと待機。

出られたわーー!
激しいダンスだワーー!
昭和の名曲「狂わせたいの」からは
観客も前5列(背後に遠慮してくれている)ぐらいを残して総立ち!
わたくし前から7列目!
た~のし~~~[あせあせ(飛び散る汗)][るんるん]
ノリノリのアゲアゲ[グッド(上向き矢印)][グッド(上向き矢印)]掛け合いだってハジけまくり~♪(米米の曲だったらしい)

アクロバティックな大立ち回り的シーンもあったし、
キラキラの衣装や丁髷がよくお似合いだワ~。

ダンスの合間に少しばかり話を振られ、
自分のことを「あたし」と呼び、女言葉になる「喜矢武ちゃん」氏、
疲れた(精一杯やったの意にとれるんだけど)とかなんとか通常発言w
でも早乙女座長にとってはネガティブ発言として気になるらしく、
この公演では500円の罰金対象になるとか?

派手なダンスナンバーの後は、着席となって早乙女兄弟の舞を鑑賞。
おーCGみたいに美しい~[ぴかぴか(新しい)]
レイヤーさんみたい~[ぴかぴか(新しい)][ぴかぴか(新しい)]
風になびき、フワリ、ヒラリと翻る大きなマント的衣装の動きも麗しく、
それが外されたあとは王子様的コスチューム。

ほほー、昨今の大衆演劇はこんなのも求められるのねーとトレンドを知ることに。
てか、大衆演劇とはこういうものなのだと知ることの出来た舞台でした。
推しがいると堪らないことでしょうねー。

結局喜矢武氏の出演はそのときだけでした。
あの告知の衣装はなんだったの~?!
というか、大衆演劇の出し物って毎回変わるものなんですよね。
つまり、この舞台が大衆演劇の流儀によって構成されているものと気付いてなかったわたくしのリサーチ不足?

二部の演劇に出られてた回も多々あったようで、
アンラッキーな回のチケットを購入してしまったみたいです。。
うーん、、ちと残念。
楽しませて頂いたし、大衆演劇初体験できたしだったけど、
ちょっとばかり不完全燃焼感が残る観劇でした[あせあせ(飛び散る汗)]





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