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パヤタイ宮殿 テーワローサパーロム宮殿 [バンコク旅行]



ランチの後カフェ・ド・ノラシンのスタッフさんに
「パヤタイ宮殿はどこですか?」と尋ねると、
「ここですよ」
「そうじゃなくって中を見学できる宮殿」
「ああ、それならこの向かい」
「!」

パヤタイ宮殿では曜日を限って午前と午後に館内見学ツアーが。
カフェの入口を探すことにすら戸惑った身としては
さて、どの建物に行けばいいのだろう?とハードルの高さを心配せずにはいられなかったのですが
なんとこの渡り廊下のカフェ入口の反対側正面が見学受付!
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ツアーは無料で受付で名前を書いて入館証をもらうだけ。
日本語パンフレットもあり、ツアー開始まで裏手の展示を見学しておりました。

こちらパヤタイ宮殿は
タイの西洋化を促進しようと、タイ王室で初めてヨーロッパ留学したラーマ6世が建築。

因みに父王ラーマ5世は「王様と私」で有名だとか(西洋人の家庭教師に影響を受ける)。
ラーマ6世も近代化路線を引継いで改革を推し進め、1925年に崩御。
けれども異母弟のラーマ7世在位中に立憲革命が起きイギリス逃亡・退位、
ラーマ8世(5世・6世の甥)が欧州留学から一時帰国して即位となったのですが、
学業終了後帰国したその翌年に謎の死を遂げるという暗黒の歴史が。
そこに現れたのがラーマ9世。先般亡くなられたプミポン国王!
1946年から2016年まで在位70年!?

陛下、イケメン~[黒ハート]
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展示は、3年前に崩御されたプミポン国王の生涯に関するもので、
ラーマ5世の孫(父王子ってラーマ5世の69番目の息子)でラーマ8世の弟。
でもアメリカ生まれで就学はスイス、家族写真なんかみるとがっつり西洋風で
お母さまの髪型なんかも最先端を行くフラッパースタイル。
兄の怪死後、馴染みの薄い母国に帰ってというよりやって来て
内憂外患の舵取りをしないといけないということは
どれほどの覚悟がいったことかと察せられます。
(というか腹を括ることが連続の生涯?)
とはいえ波乱万丈な中にもウィキを見ればスポーツや趣味に没頭されたり、
お茶目なお人柄を伝えるエピソードもあって、ほほっ、ファンになってしまいそう[黒ハート]


ボランティアスタッフによる見学ツアーはタイ語によるものでした。
スタートはテーワローサパーロム宮殿から。
この解説というのが…結構長くて途もうこの場で脱落して去って行く人も。


ウイーンかと思ったワ!な、色味と形状。
オットー・ヴァグナーの地下鉄の駅シリーズを連想してしまいました。。
建物前後のアーチはミュシャを思わせるような装飾でちょっとばかりビザンチ~ン[ぴかぴか(新しい)]
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内部も多分に中欧(オーストリア・ハンガリー帝国)的。
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ここにラーマ6世の母后がお暮しだったというのだけど…どこでどんな風に?
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右側に見えるのが敷地続きのラーマ6世の名前を冠した近代的建物の病院。
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ヨーロッパで暮らしたラーマ5世が当時の先端を行くスタイルを取り入れて造られたのでしょうね。



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