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アユタヤ ワット・ヤイ・チャイ・モンコン [バンコク旅行]



定番アユタヤツアー、現地ツアーも色々あるのですが、違いのポイントは
・夜の遺跡ライトアップ、
・バンパイン宮殿、
・チャオプラヤ川クルーズ、
・その他観光地
の取り合わせ。
希望をすべて含めるものというのはなく、夜の遺跡ライトアップ+
バンパイン宮殿滞在時間の少しでも多めものをと優先してチョイスすることに致しました。

ところが、「アユタヤ世界遺産祭り」期間中ということで、
軒並み夜の遺跡ライトアップを含むツアーの催行中止の但し書きを目にするように。
記載のない会社に一旦は申し込んだものの、やっぱりほどなくしてツアー催行中止の連絡が。
ありゃりゃ…。

その結果、怪我の功名的に車をチャーターして行くのが安いということに気が付き、
チャオプラヤ川クルーズはナシにはなったものの、
自由度がグン!と上がる期待以上の内容のアユタヤツアーとなりましたw
(それほど間を置かずアユタヤ世界遺産祭りは翌年2月28日~3月8日に延期と発表に!あ、あさってからなのね~)

先に寄ったバンパイン宮殿はアユタヤのバンコク寄りにあって
9時前に出発すると、ホテルが高速道路の入口近くにあったこともあって
ラッシュにあうこともなくムチャクチャスムーズ到着。
その後、アユタヤ中心部の遺跡に向かったのですが、
確か手前には山田長政で有名な日本人町の看板もありました。


バンパイン宮殿に続くアユタヤ遺跡群第一番目の訪問地「ワット・ヤイ・チャイ・モンコン」。
他の遺跡が遺跡ー!って印象なのに対し、こちらは寺院。
今でも僧侶や参拝者の絶えない場所で、地理的にもちょっと他の遺跡群から離れたところ。

入場してすぐのところに涅槃仏。
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比較的キレイで神々しく穏やかな表情。
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参拝するカップル。
男性も横座りなのですが、これがパヤタイ宮殿でもよく目にしたこちらの方の正式な座り方?
全国王の肖像画の前でこのまま斜めにバターッと倒れ込むようにして最敬礼のお辞儀のようなことをされていたのが印象的でした。
お坊様や仏様の前でも同様なのでしょうね。
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お坊様もお参り。
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境内を仏像が囲みます。
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ストゥーパ。
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観光客もお坊様も遠足の子供も上ります。
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階段のある中段まで。
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ザ・遺跡の風景が眼下に。
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内部はこんな感じ。
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下りてぐるっと一周。塔の裏側。
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東南アジアでよくみかけるスタイルの仏塔「ストゥーパ」ですが、
日本で漢字で書くと「卒塔婆」。でも形態として伝播したのは五重塔みたいなの。
仏舎利(お釈迦様の遺骨)を安置した仏教建築とのことですが、
「パゴダ」と呼ばれていることもしばしば。
何が違うの?とウィキをみたら、
いずれも西洋で仏塔を示す言葉らしいのだけれど、
ストゥーパはサンスクリット語で、
パゴダはポルトガル語に由来するのだとか(それ以前の何語のなんという言葉からの転化かは不明らしい)。ふーん。








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バンパイン宮殿 [バンコク旅行]



これはマリア・テレジアイエローの教会でしょうか。
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陽光降り注ぐ水辺の庭園。
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彫像のある白い建物。
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ウィーンを思わせるかのような宮殿建築。まるでシェーンブルンのカフェ?
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世紀末ウィーンの街にありそうな水門だワ。オットー・ワーグナーのウィーン分離派かしら。
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ここは庭園だったのね。
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美しい石像…って、
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これは仏教寺院??
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ヨーロッパの庭園に忽然と現れるタイ・スタイル寺院!!
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…なんてことはなく、バンコク郊外に存在する離宮、バンパイン宮殿。
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王家の方々の避暑のための離宮で池を中心に建物が点在しているのですが、
西洋建築率高し!
世界遺産アユタヤの近くで、よくアユタヤツアーに含まれていて一緒に観光することができます。
(いかんせん、見学時間が短いのが常)

ご覧の通り目も眩むような晴天でした。
もうねー、逆光の場所なんかだとカメラの液晶が真っ暗で勘で構図をとってるようなものw

午前10時半過ぎ頃でしたでしょうが、なかなかの日差しでした。

寺院のようなのは、プラティーナン・アイスワンティップアートという離宮。
ワット・ニウェート・タンマプラワットという寺院もあるとのことですが、
それが、冒頭の教会風建物?!ええぇぇぇっ!
(実は今知った 内部も教会風なのだけど仏教寺院)

元々は17世紀にアユタヤ王朝の王により造営されたということですが、
ラーマ4世、5世により再造営されたのだそうです。
あのパヤタイ宮殿を建てたラーマ5世。
そして、西洋人家庭教師を招聘した「王様と私」(映画)のラーマ4世ということなのでしね、納得!
建物の好みとしては留学していたラーマ5世の意見が色濃く反映されているような?
多分にウィーン的な気がするのですけど、
在位68年に及ぶ国父フランツ・ヨーゼフのオーストリア帝国をリスペクトしてのことというのは
想像が過ぎますでしょうか。






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