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伯母の幕引き [その他]



母方の祖母がなくなって7年、ちょっと早いんじゃない?という感が否めないけど、
母の姉=伯母が週末旅立ちました。

いつだったか新聞のエッセイ的な投稿コーナーに「姪による着物リメイク万歳」みたいな内容が掲載されていて、読み進めながら世間には似たような話があるものだと思ってたら文末の投稿者名が伯母で、
「えっ!私のことやん?!」みたいなこともあり、
晩年頃は着物を譲ってもらったり、リメイクさせてもらったりするような間柄でした。

うちの母たちにとっては歳の離れた長姉で、
伯母が結婚適齢期の頃祖父が亡くなったため実家近くでマスオさん状態の世帯を持ち、
わたくしとは年齢の近い従妹がいたため子供の頃は泊まりに行くこともしょっちゅうで、
何かとお世話になっておりました。
時代のトレンドだったのかダイニングキッチンの隣の二間続きの座敷では
昼夜の編み物教室が賑わっていましたが、
他にも色々な手芸に手を染めていた他、着付け教室もしていて、
結婚前には何度か教えてもらったり、着付けてもらったり。
以来着物関係でわからないことがあればとりあえず電話をしてみたものでした。

ここ数年は終活に励んでいて、
早いうちから形見分けとして革用挟や着付けの本を託されておりましたが、
こういったものは本人がピンピンしている間にもらうのがいいですワね。

連れ合いの伯父が数年前に亡くなってからは
隣県に嫁いだ従妹が頻繁に旅行に連れ出したりしていましたが、
だんだん駅まで歩くのさえしんどいと言うようになってきって、
ちょっとした骨折による入院・施設療養後も家よりもここの方が安心という風になり
高齢者にはありがちな誤嚥性肺炎がきっかけで最期を迎えることとなりました。
本人も親族も、寝たきりの状態がそれほど長くなかったのがせめてもの救いだったような。

クラノスケの両親や伯母など、寿命とも思える人々を見送って思うことは
なんか人間の肉体って適当なところで不具合がくるようプログラミングされてるんじゃないかってこと。
きっかけとなるスイッチが入れられると
それぞれ当てがわれた台本に沿ってあの世というゴールへと歩を進め、
この世での生存に終止符を打つという。

若い人が亡くなる場合とは涙の質も違っていて
一番大きく心を占めるのは寂寥感でしょうか。
よく(長い人生を頑張って)生きたね、お世話になりました、ありがとう、みたいな?
入院期間が短く、またコロナ禍で病床を訪れることができなかったため
まだ実感が湧いていないだけなのかもしれませんが。


早くからの身辺整理や
「私、変なこと言ってなかった?」という認知症を心配する発言等は、
祖母が晩年を施設で過ごし、認知症になって100歳を過ぎての大往生だった影響が大きいのではないかと
勝手に想像してみたりします。
臨終前は兄弟姉妹が交代で施設の和室をお借りして一月付き添ったという経緯や、
伯父が亡くなった際も自宅だったため一応警察の検案を受け面倒だったこと等から
伯母の中にはひたすら身内に世話をかけたくないという思いが芽生えていたような。
加えて朝起きたらお化粧をしてスカートしかはかないというスタンスで生きてきた意識高い派にとっては
老いさらばえた姿を見られたくない、認知症になりたくない、特別なケアを受けたくない等の思いもありそうな気がするし、
あるいはただただとにかくひたすら肉体がしんどくなってきて
死が遠い存在ではないと考えたからかも?とか。

とはいえ、近くには弟のいる実家もあり、懇意にしているご近所さんも。
句会にも行っていったし、週に一度は女学校時代の友人たちと編み物を続け、
何より韓流ドラマで胸キュンし続けるお仲間も。
自分の兄弟と子供たち家族以外には知らせず、
かねての希望通り息子の家近くの何の縁もない地の葬儀場でひっそりと家族葬で行うというのは
潔いといえば潔いけど、お見送りしたかった人々の心の整理のためにはちょっと辛いものがあるかも。


それでも式場には遺影とともに新聞に掲載されたエッセイや句の一部切り抜きが展示され、
故人をよく知る参列者達にも偲ぶよすがとなっておりました。

遺影は丁度二年前の孫の結婚式の時のもの。
わたくしが作成した留袖リメイクのツーピースと共布を利用したコサージュでオシャレして
たまたま撮れていた斜めアングルの写真はまるで女優さんのようで、
棺に仰向けに納められている顔にはほぼ皴も見当たらずとても綺麗に死に化粧がなされていました。

飛ぶ鳥跡を濁さず的な姿勢に
昭和一桁の気概を見たような気になりましたワ。




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