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読書の秋 2 ~藤堂の結婚を考察 後~ [娼婦と淑女]



ワイン…いえ、紅茶を注ぐ側から注がれる側に?

関心の発端
藤堂の結婚に障害はなかったの?
の続きですが…、

先に答えを言っちゃうと、
この本に拠るなら
法的には〇だけど、社会的には受容れられるのかしらね~、いばらのみちっぽいワ~、
ってとこでしょうか。


爵位を持てるのは男性戸主だけ。
後継ぎの男子がいない華族は、
戸主(=有爵者)の死から3年以内に養子をとって家督を継がせないと
爵位も華族の資格も失ってしまうことに。

…ということで船場の商家のような女系家族は有り得ないということに。

でも…、
男系相続って…、
そんなに信じちゃっていいものかしらね?
お腹から出てくるのだからその女性の子であるのは間違いはないだろうけど…、
女性を信じ杉?幻想を抱いてる??

…って、麗華の例が~~!

太一のように疑惑を抱きながらも戦々恐々暮らすしかないのね。
(…って、眞一、成人したら真彦そのまんま…!)


結婚の前に
ちびっと家督相続の話を。

明治40年に改正された家族令で、
爵位を継がせる養子については以下の条件のどれかを満たされていればOKと定められました。
(初期には士族・平民を養子にする場合は血縁関係が必要とされた)

① 養父又は被相続人の男系の六親等内の血族(但し他家より入りたる者の実方の親族を除く)
② 本家または同家の家族もしくは分家の戸主又は家族
③ 華族の族称を享くる者

ミツばあさんは一人娘・杏子の産んだ孫娘・凛子に男子が生まれること切望しておりましたが、
①に拠ると、その子を現子爵孝太郎(杏子の夫で凛子の父)の養子嗣子にして家督を継がすのは
…不可。
なぜならこの孫はいくら清瀬の血を引いているからといって
女系だから。

一代遡って、仮に、
ミツばあさんの夫が子爵として存命中、杏子に生まれたのが男子だったとしても、
子爵(祖父に当たる)の養子にして、家督を継がせるのはやっぱり不可。
なぜならやっぱりこの子は女系だから。

ただこの場合、杏子の結婚相手が華族なら、
生まれた男子は③の条件のクリアすることになり、
難なく養子適格者に。
久我山さんところにお嫁に行って、
生まれた男子を清瀬の跡取りにするのだったらすんなり認められたという訳です。

ところが、
この制約というのがあってないようなもの。
抜け道があって、
男子が一旦どこかの華族の養子になりさえすれば、
③の条項から、誰でも華族の家督を継ぐ養子(養嗣子)になれるという…。
意外にもただの養子縁組の場合には、華族といえどもほとんど制約がなかったのだそうです。

昭和15年の華族大観によると華族の当主の30%が養嗣子だったとのこと。
ただ、その内容は旧公家は旧公家から、旧諸侯は旧諸侯から、というように、
同じような家柄からの養子が圧倒的で、実際には昔の身分に拘った組み合わせが多かったとか。
勲功によって新しく列せられた華族の場合は非華族から養子をとることも多く、
華族からもらう場合は家柄のある華族からの場合が多かった模様。
反対に勲功華族から家柄華族の養子となるケースは少なかったというのは…な~んとなく分かるような気がします。


当時の家督相続では何よりも優先されるのは「家」の存続。
背景にあるのは
「血統」は絶えても仕方がないが、「家」だけは連綿と続いていかなければならない
という思想。
現代の庶民とはちょっと感覚が違うのが興味深いところです。

清瀬家はミツばあさんが実権を握っていたけれど、
爵位を継いでいたのは入り婿の孝太郎パパ。
(孝太郎パパの出自は…恐らく華族ではなかったような。
 書生上がりみたいなことはきいたことはあるのですが…。)

ミツばあさんが凛子の子供に拘っていたというのは
家の存続に加え、
血統の存続をも願わずにはいられなかったということに他なりません。
でも、紅子詐欺事件で、清瀬の血統存続の願いは断たれてしまうことに。
願うことはただ一つ、家の存続だけとなってしまった訳です。

結果、残された道は太一(孝太郎が外で作った子)による家督相続しかないと、諦念?
現代の庶民の感覚ではちょっと違和感を覚えずにはいられない
清瀬とは全く血統の繋がらない太一の爵位相続も、
ミツばあさんの豹変ぶりも、
血統よりも家優先、
そう考えれば、それほど不自然なことではなかったのだと納得することが出来ます。

もうこうなってしまえば、麗華と真彦の子供が清瀬を継いでも同じ?
(麗華は太一と結婚する前に真彦の子供を宿していた)

長じるにつれ眞一が真彦生き写しになってきたところで、
ばあさんにとっては大した問題ではなかったかも。


で、肝心の結婚の話なんですけど…。

華族令での規定では、
結婚に際して
華族の戸主の場合は、役所の戸籍係に届ける前に、
華族の家族の場合は、戸主の同意の前に、
宮内大臣の認許を受けることが、義務づけられていました。

でも、面倒な手続きが必要とはされていても、
宮内庁がその届け出について審査、判定をするわけではなく、
申請が出れば自動的に認許。
事実上自由に行うことが出来、
また、その相手についても、法的な制限はなく
(皇族との結婚についてだけは制限が)
華族が非華族と結婚することも珍しくはなかったようです。

先に孝太郎パパの話が出ちゃいましたが、
条件としては藤堂もおんなじ。
孤児であったからといって一般平民と何ら違いはなく、
なので結果、法的には十分可能と推察されます。

更に、もしも二人の間にも女児しか生まれなかったら、
孝太郎のように藤堂本人が爵位を継ぐ可能性も?

この件に関しては
結婚話が出た当初、紅子から「子供の父親としてこの家に君臨すればいい」と言われてたので
想定されてなかったようですが、
その場合は、藤堂が華族であることが要求されることとなります。

一旦誰か華族の養子になるというステップを踏んでから
更に現子爵・孝太郎の養子(養子嗣子)となる手続きが執られると考えればよいでしょうか。
(この本、入り婿についてはあまり触れられておらず、
 最初の養子縁組が孝太郎本人でもいいのか、別の華族でないといけないのかは不明でしぃ 。)

華族の結婚においては閨閥作りも重要な目的。
非華族と華族の結婚の場合に多かったのが、富と名誉の組み合わせで、
成金の娘麗華と太一のカップリングというのは典型的パターン。
平民でも…、なぜに、危険を冒すかのように、わざわざ孤児の藤堂を?

華族は新聞社会面の絶好の標的。
(今のワイドショーや週刊誌ネタみたいなものでしょうね)
紅子が詐欺容疑で逮捕された際にも、なりすまし事件として紙面を賑わしたのは想像に難くありません。

大正13年の東京日日新聞の10月末だけでも
25日(夕刊)沢伯爵家令嬢に謎の大金が送られる
25日(朝) 藤堂伯爵邸に演習中の近衛兵の放った実弾が飛び込む
28日(朝) 酒井伯爵家、久邇宮家との婚約を辞退
28日(朝) 土御門賀寿子が年下の大膳寮膳手と結婚
28日(夕) 土御門賀寿子の新居探訪
29日(朝) 夫人を亡くしたばかりの前田利為侯爵が芸者を5万円で身受け?
といった具合。

28日の記事は、お嬢様と年下のイケメンの一途に貫かれた恋と結婚を取り上げたもので、
女官として皇后付きの女官土御門賀寿子と、5歳年下の大膳寮の膳手(コック)は職場恋愛の末、
共に宮中を退き市井での生活を開始。記者は新居をさがしあて、暮らしぶりまで紹介。

もし凛子(紅子だけど)の結婚相手が執事の元孤児とわかったなら、
格好の餌食となったことでしょう。
出自を色々調査…というより憶測、いえ、ドラマチックに捏造されてしまうかも。

藤堂には…千鶴周辺とか困ったプライベートもありそうだワ。

それはともかく、
新聞ネタとしては一段落しても、
社交界では噂はいつまでもついて回り…。

法的には何の問題はなくても、
そっちが大変そう。

「罵られ、嘲られ、理不尽な扱いも随分と受け」る日々が再び?
…ということはないでしょうけれど。
鋭い勘と立ち聞きで上手く立ち回る?
背に陰口を受けながらもしたたかに?
いえ、誰にも何も言わせないほど力を蓄えていくかも。
結婚式のときは…ソツなく招待客の応対されてましたけどね。

清瀬にとっては久我山大佐の二男・真彦を凛子の婿にするのが
理に叶っているというか常識的だというか、
もんのぉすごーくスタンダードな選択だった訳なのですが。。


夕方、阿倍野橋の歩道橋渡ってたら、
一人のストリート・ミュージシャンが
「いばらのみち」歌ってたワ。

 


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