SSブログ

読書の秋 1 ~藤堂の結婚を考察 前~ [娼婦と淑女]



放映中、図書館行って目に付いたのがこんな本。

パラパラと捲ったらちょっと興味深い内容ではあったのですが、
その時は何かと忙しかったものでそれっきりになっておりました。

先日、予約の本を取りに行ったらそのまんま同じ書架にあったので
ついでにこれ幸いと…。

華族たちの近代.jpg

ま、こんなことでもないと華族制度について触れる機会なんてなさそうだワ、
ということで読もうと思ったんですけど、

やっぱ関心の発端は
藤堂の結婚に障害はなかったの?
というとこだったでしょうかね。

ドラマに絡めて備忘録的に内容紹介。

藤堂の結婚…の前に、ちょこっと清瀬を検証~。


えーっと、まず華族って、明治2年に出来たのですけど、
最初は主に元公卿と諸侯。つまり殿上人と大名で、計427家。

爵位が定められたのは明治17年。
「華族令」の公布により宣言されるまで、爵位は存在しなかったのだとか。
爵位は内規に従い、かなり厳格に決定。
家柄に関しては機械的に分類され(旧賊軍の藩主だからいって差別されることはなかったらしい)、
例えば侯爵なら以下の通り。

旧清華
徳川旧御三家、旧大藩知事即ち現米15万石以上、旧琉球藩王
国家に勲功ある者
 
どの爵位にも「国家に勲功ある者」との条項があり(公爵だけは「勲功」が「偉勲」)、
華族令公布と同時に29名の士族が国家への勲功が評価されて子爵、伯爵に。
顔ぶれが薩長土肥の藩閥中心だったため、
明治20年、旧幕臣・薩長土肥以外の諸藩出身者を含む、参議などの勲功者を追加。
以来、維新の殊勲を始め、政治家 官僚 軍人 実業家等が
皇室の慶事や戦争、条約締結、重職からの引退などをきっかけに叙爵。

初期の頃は文官の方が華族になる者が多かったものの、
日清・日露の戦争の軍功で武官が大量に叙されることとなり、
明治末期には919、大正末期には952家に。
昭和22年の日本国憲法発効と共に廃止。
(あ、そーか、そっちの都合で藤堂の復員は遅れたのでしね。麗華の服役期間もそれで決定?)


で、子爵である清瀬家の場合はといえば…、

規定では

一新前家を起こしたる旧堂上
旧小藩知事 即ち元米五万石未満及び一新前旧諸侯たりし者
国家に勲功ある者

ということになっているのですが、
恐らく、ミツばあさんの言動から察するに当てはまるのは三つ目?

どうみても先祖が堂上(内裏の清涼殿殿上間に上る資格がある者)や、
大名だったようには見えないし
…って、山田の長屋に追い出されたとき、後生大事に持って出たのは
キセルと甲冑と軍服の肖像画!

考えるにあれはミツばあさんのお父さん?
なので、日露戦争等での功績による新華族っぽい?
(祖父の維新時の活躍による叙爵の可能性も捨てきれませんが)


で、あれほどミツばあさんが拘っていた爵位なのですが…。

爵位を持てるのは戸主だけで、
爵位をもつ戸主が隠居して戸主を譲ると爵位も家督相続者に移ることに。
戸主であっても女性は爵位を持てず、
男性戸主が死去し女性戸主となった華族は、3年以内に養子をとって家督を継がせなければ
爵位も華族の資格も失うことになるのだそうです。

つまり清瀬のミツばあさんは暫定的に戸主にはなれても爵位は継げなかったわけで、
しかも前子爵の死去から3年以内に手続きを済ませないと
爵位返上どころか、華族でもなくなってしまうという…。

ミツばあさんは清瀬にお嫁に来た人だったのかしら?
雰囲気からして清瀬の娘で、入婿をとったっぽい?
ひょっとしたら清瀬は、叙爵した初代以外、ずっと「入婿華族」(こんな言葉ないけど)の可能性も??

華族の特権としては
世襲財産の設定、天皇からの一時金・年金の下賜、公債の利子収入等があって、
これは…手放せませんわね。

世襲財産というのは華族だけが設定できる財産(家宝、不動産、国際、有価証券等)で、
これに指定すると売却したり抵当に入れたり出来なくなるとのこと。
そのかわり差し押さえされないなど特別に保護されていたということですが、
清瀬邸は世襲財産に設定されていなかったのか…?
例え設定が解除されていたとしても手続きが煩雑そう…。
そんなに簡単に久我山の手に渡るもの??

因みに欧州なんかだと貴族は学校を出るとすぐに高級将校になれるようなイメージがありますが、
日本の軍隊は実力主義。
元殿さまと元家来といえども区別はなく、
華族の子弟といえども昇進ペースは普通。
太一の中尉なんて…、有り得なさそうなのこの上なしという感じなのですが、
もっと有り得ないのがそれが久我山頼みだったということ。

年金・一時金以外にも、
孝太郎の職、不動産・利殖がらみの収入等、色んなところからの収入が考えられると思うのですが、
中尉の給与ってそれらすべてをつぎ込んでまで得るほどのもの??
きっと清瀬の年収って今の貨幣価値に換算すれば億単位だった筈。

まあ管理はどこの華族でも主人ではなく家職(執事)や顧問・家政相談人(旧家臣等)任せだったそうなのですが。

そういう意味では、杏子ママが藤堂を婿候補として押した際の
「藤堂なら凛子もこの家も守っていってくれます」は、
違和感を覚えずにはいられない発言。
華族の主には、実務的能力はあまり求められてはいなかったのでは?
それとも藤堂は、凛子の夫、跡継ぎの父親としては迎えられても、
一生執事として飼い殺しされる予定だったとか??


後編に続く~。

 


nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。