ホーエンザルツブルク城塞 [中欧]
ヘルブルン宮殿からバスで旧市街へ。
バス停近くのカジェッターナー修道院。
ケーブルカー乗り場に向かおうと思うのだけれど、
城塞麓の広いカピテル広場は工事中だったりイベント施設設営中だったりで突っ切ることが出来ず、
ぐるーっと外周に沿って回るような感じで乗り場への小道を見つけました。
すぐそこに目的地があると思われるのだけど、確信のないまま遠回りするってイヤだったワ~。
ケーブルカーはわりとあっさり乗れ、丘の上のホーエンザルツブルク城塞へ。
昔も来たのだけど、建物の中には入った記憶がないので
見晴らしより内部見学を目的としてたのですが、何せ広いのでポイントだけ。
ゲオルク教会。
南側を見下ろしたとこ。
拡大して見ると左側の奥に直進する道路の先の小さな山にヘルブルン宮殿の月の宮殿が見えました。
この城の始まりは11世紀の聖職叙任権闘争なのだとか?!
教皇側だった大司教が「カノッサの屈辱」で和解した皇帝の報復に備えて建てたのが
この城塞ということで、
その後も周辺国や反乱の脅威からの防衛のため増築・拡大され、
ナポレオン占領後ハプスブルグ家の支配下におかれるまで城塞としての役目を果たしてたのだそう。
因みに「Festung Hoensalzburg」を直訳すると
「砦 高い 塩 城」となります。「城壁で囲まれた塩の町の高いとこにある砦」って感じ?
入場~。
でも興味があったのは「黄金の広間」~と、「黄金の小部屋~」!
石壁がむき出しのような城塞の中にあって唯一デコラティブな場所です。
やっぱりちょっとおとぎの国っぽい印象の装飾。
この金の点々が星みたいなイメージってどっかに書かれていたけど、
このセンスというか伝統がノイシュバンシュタイン城なんかにも受け継がれてるような気がします。
扉のアイアンワークが装飾的。
タイルの暖炉。
窓から見た市街地側。
展示も色々。
マリオネット博物館。
ガラスごしにいくつもの場面を見ることができました。
この舞台はヘルブルンのローマ劇場!
キューエンブルク稜堡。
ヘルブルン宮殿 [中欧]
びっくり噴水の庭ツアー終了後は宮殿へも。
エントランスまで外階段を上り、更に建物内の階段を上って巡れるようになっています。
幼少時の大司教様がお出迎え。
窓の雰囲気はルネサンス調といっていいのかしら。
想像上の絵や動物が展示されているかつての食堂。
表側から入ったので全然気づいてなかったのですが、
ネプチューンの洞窟の上階に当たり、
窓から眺めるローマ劇場。
豪華なフレスコ画が描かれた「祝宴の間」。
隣は「音楽の間」。
このオブジェは何?
全体を入れようと思うけど、ムリ。
隣の部屋から。
庭も宮殿も大好物の場所でした♪
わたくし、王宮よりも貴族の館クラスが好きなのでしよね。
隙のないシュッと洗練されたのより、わずかに稚拙さを感じさせるゴテゴテ感のあるのがお好み。
グロッタ(ドイツ語だとグロットらしい)趣味とその周辺というのが
思いきり嵌るようです。
少し離れた庭の端にガラスの家が。
これって昔ツアーで訪れたとき、レオポルドスクローン城の湖対岸にあったと記憶してます。
帰国後叔母に写真を見せたとき「サウンドオブミュージック」に出てたと言っていました。
印象的な建物だったのでしょうね。
その後随分経ってからレンタルして見ましたが
確かにフルに活用されてて一番分かり易く記憶に残りやすい建物!
こうして見ると日も落ちてきたのか?って感じですが
決してそんなことはなく、
日陰を求めてバス停の影に観光客が寄り集まるような強い日差しの夕方が長く続きます。
ヘルブルン宮殿 びっくり噴水とグロッタの庭 続き [中欧]
庭園ツアーは続きます。
「ディアーナ神の泉」
18世紀に設置された「機械劇場」、水の力で動いてるのだそう。
「ミダスと王冠の洞窟」
わー、きゃー、うへぇぇ~!
誰もいなくなった建物内。
とても豪華な貝殻と洞窟趣味。
王冠が噴水の力で浮き上がる仕掛け。
水銀泉の噴水。これも後代のものかも。
ユーディダイスの噴水
ネプチューン噴水
ツアー終了後、外の庭園ヴァッサー・パルテル(水の花壇)へ。
流石に後半下半身に噴水をくらい、服が濡れてしまいましたが
この天気でそんなことも忘れてしまってました。
山の中腹に見えるのは「月の宮殿」。
多分「王冠の洞窟」の裏側。
池には鯉が泳いでいるのかと思っていたら「トラウトの池」とのことで鱒?
ヘルブルン宮殿 びっくり噴水とグロッタの庭 [中欧]
…ということで、「諸侯のテーブル」のお風呂の椅子みたいな穴からも噴水の放出が確認され、
ウォシュレット状態??
一番手前の大司教様の椅子だけは出ないようになっていて、
礼儀上、大司教様が立たない限り離席ができないお客様たちを困らせたというイタズラ食卓。
水濡れからカメラを守り、ツアー客の最後尾について行きながら撮影。
モザイクはじめ色んな具合がほぼイタリア。
特にここは「ローマ劇場」との名が。
「オルフェウスの洞窟」とのこと。
なんでバイオリンなのかはわかんないけど。
宮殿一階に造られた「ネプチューンの洞窟」前。
画像だとよくわからないけど手前の池が星型になっていて「星池」とよばれている?
左右の石像はヤギで大司教の紋章に因んでのものだとか。
カスケードのモザイクもヤギ模様?!
入口がびしょ濡れのネプチューンの洞窟入口。
石窟天井。
ストレーザのボッロメオ宮殿のようなグロッタ部屋♪
入口正面のネプチューン像。足元はやっぱりヤギ?と思ったらヒレのある馬。
「貝殻の洞窟」は壁一面に貝殻装飾が施され、天井画は天使なのだとか。
奥に見えるのは「廃墟の洞窟」ということですが、写真を撮ってなかったのはお好みじゃなかったのね。
(人が去るのを待って素早く撮影しては追っかけるを繰り返してたし)
入口を挟んだ反対側の「鏡の洞窟」。
壁に嵌め込まれた丸い装飾が鏡面効果で光るとか。
奥には「鳥の歌の洞窟」というのがあって、ゴツゴツの手水鉢みたいなところを人形が回っています。
なんか頭の中では「世界は一つ」の曲がぐるぐる回ってました。
でも浮かんだ関連映像は宝塚ファミリーランドw
それほど高速でもなかった筈だけどブレブレw
庭の模様は明日も続きまーす。
ザルツブルクへ [中欧]
ウィーンのホテルは航空券とパッケージになってた不本意なホテルでした。
それもでも追加料金で1ランク上げてもらっての普通のビジネスホテルレベル。
狭いし、セーフティーボックスはないし、朝食会場は団体客で一杯だし…。
西駅に近いということが売りだったのだけどトラムで着いたのは西駅の南側でホテルは北側。
下の地図の大通りに面した紫の×は、最初やっと見つけたと思ったら閉まってて
スーツケース転がして放浪の旅に出た地点w
唯一の利点さえ有効でなくなったワと思ったけど、
後日本来ピンクの線で移動するのが一般的と思われる駅へのホームを紫のルートでも行けることを発見し、
ザルツブルクに出発する際にはとても役に立ってくれました。
(段差とか階の移動がないのー)
時間に余裕があったので入線待ち中にホームから戻ってホテルを撮影。
こうしてみるとカワイイホテルだったんですけどね。
オーストリア連邦鉄道(JRみたいなもの)の西駅ホーム。
でも、乗るのは線路を借りて走る私鉄のウエストバーン鉄道の車両。
2011年開業とかでとても便利。
シートは2階。
自転車も置けるようです。
シートは快適だし、早さはそんなに変わんないし、切符の買い方も便利だし
ウィーン中央駅始発のもあるし、
一体誰が連邦鉄道を使うのだ??と、思ったけど、
復路はそのままハンガリーに行っちゃったので連邦鉄道利用でしたw
ザルツブルク駅は明るく広い近代的な駅。
駅前のレストランで昼食をと思ってたけど、
スーツケースの移動が大変なので駅構内のパン屋さんのカウンターで済ませました。
(駅の構内だけでも2箇所のインフォメーションに行ってすでに疲れてた)
カップに入ってるのはクスクスのサラダとかだったかな。
ホテルは市街からはちょっと離れたところで、タクシーで移動。
ちょっと早かったけどチェックインさせてくれ、
荷物を置いた後は、ザルツブルクで一番行きたかったところへ♪
ホテル前から歩くこと暫し…って、なんか直線距離で500m強のバス停まで
道を間違えたり、林の中の公園を突っ切ったりしながらバス通りへ。
それでもどっち向きのに乗ったらいいのかわからなくて困ったけど、
地元のおばちゃんに教えてもらってなんとか乗車。
下車してからも暫く歩きましたが、少なからず観光客もいて辿り着くことが出来ました。
すっごーく町はずれ。
ヘルブルン宮殿は1612年に選出されたザルツブルク大司教が造ったヴィラ。
ウィキでは「もっともよく保存された後期ルネサンスの噴水」とか「後期ゴシック様式のヴィラをイタリア風で建設」、マニエリスムの城館と庭園という風に書かれています。
えーっとイタリアの影響を受けたバロック前の宮殿と庭という感じでいいでしょうかね。
一番のお目当てはびっくり噴水の庭園。
指定された時間にグループ単位でガイドさんと一緒に回ります。
集合場所がよくわかってなくて遅れて行ったのだけど
丁度「諸侯のテーブル」に犠牲者たちが着席するところでした。
犠牲になるのは大体子供w
ピューーーー!
椅子にも穴が開いていて噴水が飛び出してる筈です。
続く~。
続けてウィーン町歩き 4 [中欧]
わたくしが美術史美術館でクリムトの橋に上っていたころ
クラノスケが回っていた付近の写真から。
美術館前広場からリンクを横切るとブルク門、新王宮への入口。
ナポレオンに勝利したことを記念して建設。
新王宮(ノイエブルク)。
今知ったのですが、30年ほどかけて建設され、完成したのは1913年とか。
えっ?1913?!翌年に第一次世界大戦が始まり、1918年に帝国崩壊。
こんなに新しい建物だったのでしねー。
第二次大戦の前年ヒトラーが演説したテラスということで有名らしいですが、
オーストリア併合宣言だったとか。
そういうことだったのね~となんか納得したような。
左手前の騎馬像はオイゲン公、1683年のオスマン・トルコ軍侵攻からウィーンを防衛した人とのこと。
向かい合うようにしてカール大公の像があり、こちらはナポレオンと戦った将軍どそうで、
この辺りは英雄広場とよばれているのだとか。
建物を挟んで裏側に出ると王宮庭園(ブルクガルテン)。
リンクに面したモーツァルト像の辺りも含まれています。
再び美術史美術館前。
こちらの像はマリア・テレジア。
今回ウィーンで一番感じられたのはシシィ(エリザベート)推し。もはや看板。
「シシィチケット」というのがあるくらいで、人気があるのでしょうね。
多分1990年代から再演を繰り返されてるミュージカルによるものだとは思うのだけれど、
日本でも宝塚とか東宝系で大人気。
わたくしがこの人を知ったのはヴィスコンティの「ルードヴィヒⅡ」の映画が初めてだったでしょうか。
狂王ルードヴィヒⅡの気が合う血縁者みたいなイメージ。
同じ頃ダニエル・ダリューの「うたかたの恋」を見て、ピストル自殺する皇太子の母だったのか、と。
ミュージカルでは悲劇のヒロインみたいな扱いだと思うのだけど
この人に共感できたり憧れたり出来るかというと…むしろ夫のヨーゼフⅠの方がずっと痛々しくって可哀そう。
オーストリア・ハンガリー帝国を背負い、これぞ内憂外患の一生。。
シェーンブルン宮殿のイヤホンガイドでも
規律に縛られた激務の日々を送っていたとの説明がなされてましたが
家庭が安らぎの場でなかった上に治世の68年間は世界的に激動の時代。
在位中の前半はフランス革命やナポレオン時代を知っているメッテルニヒがまだ宰相として存在し、
妻の代表的肖像画はクリノリン全盛時代。
サラエボ事件を経て第一次世界大戦中の1916年に亡くなってしまうわけだけど、
1918年にドイツ革命がおこり、連合軍に降伏。実質最後の皇帝ということになるのだそうです。
そうだったのかー。
丁度この週末にたまたま有働キャスターがハプスブルグ家の末裔を尋ねる番組を見たところなのですが
1961年に元皇太子がオーストリア皇位継承権と旧帝室財産の請求権を放棄をすることでオーストリア入国を許されることになったとか。
その息子と孫がインタビューの相手だったのですが、孫というのは1997年生まれのイケメンレーサー。
でもやっぱり物腰や受け答えに気品が備わっておられましたワ。
美術史美術館前の後、手を洗えるところを探して一緒に再び王宮庭園へ。
有料トイレをみつけたけど、手を洗うだけだったらタダにしてくれました。
一日乗車券をフル活用するつもりでマジョリカ・ハウスとメダリオン・ハウスを見学しに。
白いシンプルな建物は…
駅舎。
最寄り駅「ケッテンブリュッケン・ガッセ」も
カールス・プラッツやヒーツィンクのホーフ・パヴィリオンような世紀末風の駅舎でした。
オットー・ヴァーグナーは市営鉄道の建設責任者だったのだそう。
他にも彼の手に寄る駅舎が残っているとのことでチェックしてみたら
シェーンブルン。こちらは、宮殿に近い方の出口から出たので通ったのは新しい駅舎だったのでした。
シュタットパーク。どこ?と検索してみたらカールス・プラッツの次で市立公園の南側入口付近。
え、これがそうなの?!
偶然クラノスケ撮影
その昔、夕闇迫る時間帯にブルグ劇場からカールス・プラッツ駅に向かった際偶然遭遇したマジョリカ・ハウス。
やっぱり内部に入れなかったけどちゃんとした写真を撮れました。
隣のメダリオン・ハウス(デザインはコーロ・モーザー)。
ヴァーグナーはこんな街並みを造りたかったのだそう。
何度訪れたかわからない交通の要所オペラ座前に戻ったらまたまやってきたのが
裸の自転車乗り集団。
検索してみたら「ワールド ネイキッド バイク ライド」という10年以上の歴史のある
自動車中心社会への抗議を目的としたパレードなのだとか。
厳しいルールの許裸でサイクリングをするイベントで、欧州の他の国でも行われているようです。
夕食はランチ前にうろうろしたオペラ座からシュテファン大聖堂側にちょっと入ったローゼンベルガー。
セルフサービスときいていたのですがそれはB1だったようで
1階はワールドカップを放映してる一般的なレストランでした。美味しかったけどやや高。
(店頭のメニューを見てたらお兄さんが声をかけてくれたのでそのまんま入ちゃった)
モッツァレラチーズをベーコンで巻き巻きしたボリューム感一杯のサラダ。
野菜のスープ。
オーストリアにもすっかり浸透した感のあるボロネーゼ。
名物・ウィンナー・シュニッツェルはとうとう食べることはありませんでした。
本日の旅の起点、カフェ・ツェントラル。
ベテランそうなおじさまがウエイターの伝統を感じられるクラシックなお店でした。
ウィーン最後の注文を尋ねられ、
えーっとえーっと何にしよう!と昔旅行した際唯一憶えていた「アイン・シュペンナー」ととっさに返答。
で、出てきたのがコレ ↓
午前中、デメルでスリーボーダーとかなんとか言って通じなかったまさにソレww
三種のプチフルール。
中欧のケーキは一切れがデカいのだー。
出戻り&ウィーン美術史美術館 [中欧]
「続バロッコな日々」の画像アップロード容量が限界に達したのでこちらに戻ってまいりました。
結構余裕があったのに遅い~とか重い~とか思ってお引越ししてたのでしよね。
新規にまた部屋を作るのはめんどっちいのでもう暫くこちらを使うことにいたします。
ワハハ~、7年ぶりの記事更新。
こちらの記事からの続きです。
https://zokubarobeya.blog.so-net.ne.jp/
ウィーン3日目、クリムト没後100イヤーの最後を締めくくったのは美術史美術館でした。
エントランスの大ホール。
ウィーンの美術館の中では立地と規模、有名収蔵作品のせいからかメジャーな存在で、
内部も周辺も観光客が一杯。
美しいミュージアム・カフェの存在もその原因の一端かと。
美術品に興味がなくてもここだけ来たい人がいると思う~。
「クリムトの橋」、
没後100年のスペシャルは、間近でクリムトの壁画を見学できるよう設置された高架橋なのでした!
すごーい! 近ーい! ♪♪♪
旅行の計画を始めるまでは没後100年イベントのことなんて全然知らなかったので
偶然の恩恵にただただ幸運を感じつつ感謝するばかりです。
粋な計らいありがとー!
展示室はとにかく多くかつとても広く
またまた別行動のクラノスケとの待ち合わせ時間まで速足で移動。
エジプト・ギリシア文化から19世紀西洋絵画まで網羅的に展示されていて
まともに鑑賞していたらとても一日では…。
そんな中でお好きなクラナッハと、
(生首からサロメと思ったけどユディット。
クラナッハは父子で沢山よく似た美女と生首の絵を沢山描いているけれど
剣を持ってたら復讐の女傑ユディットで皿に載せてるだけならサロメとか)
古典古代展示室のクリムト。
(なんか古代美術と関連があるらしい「ヌーダ・ヴェリタス(赤裸々な真実)」
大きな声では言えませんが…
エントランスからクリムトの橋周辺の混雑ぶりに関しては
興味のないおパンピは来てくれるな!…が本心。
他の展示室は空いてまし。
「ヌーダ・ヴェリタス」前もゆったり鑑賞。
速足がもったいない大コレクション館でございました。