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コロニアル・シンガポール ~建物いろいろ~ [シンガポール旅行]



別に教会マニアというわけでもないのですが、
御近所だったので…。

アルメニア教会
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シンガポール最古のキリスト教教会とのこと。
1835年に完成。


聖アンドリュース大聖堂
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前回堪能したので今回内部はパス。

建築決定から10年以上経った1837年、ようやく完成。
現在の建物は二度の落雷の後、解体・再建されたもの。
英国国教会。
アンドリュー(日本語聖書での慣用表記はアンデレ)は、イエスの使徒の一人で、
スコットランドの守護聖人でもあるのだとか。


街にはまだまだ現役活躍中の建物も。

スタンフォード・ハウス
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ヴァンガード・ビルディング
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四半世紀前もそんなに変わんないようでし(右と左上)。
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元は英国系の中国人小学校だったという切手博物館(右手前)と、フリーメイソン会館
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切手博物館でお土産に買ってみたのが
板チョコ型の切手シート。
チョコの匂いがするのだそうです。

この裏手にフルート・アット・ザ・フォート(Flutes at the Fort)というステキなレストランがある筈。
ニョニャ料理と天秤にかけて、却下となったのですが、
HPでメニューを見ることもできます(翻訳サイト放り込んでメニュー決めちゃいたいくらい♪)。
サタデー・ブランチがこれまた美味しそうで…。

その建物というのが、左下ではないかと…(違うかなぁ~?)
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シンガポールには「ブラック&ホワイト」と呼ばれるコテージ風の住宅があちこちに点在しているのだそうです。
 ↑ の英文によると、な~んとなくこんなカンジ?

ゴムブームに沸いた1920年代が建築のピーク。
マレー様式とイギリスのテューダー様式の折衷で、
熱帯のキビシイ気候風土に適応させた造りの
ノスタルジックなハーフティンバー・ペイント、漆喰仕上げ。
シニア公務員のため、自治体や政府の建築家や技術者によって建設…。

全然意味不明の箇所もあって、責任は持てないので、参考にはなさらないで下さいましね。


国立博物館
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ヴィクトリア女王在位50年を記念して、1887、年ラッフルズ図書館&博物館として開館。
常設展ではイヤホン(日本語あり)を貸与してくれ、
シンガポールの歴史や文化について説明がなされます。


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コロニアル・シンガポール ~神父さまのカトリック系教会~ [シンガポール旅行]



聖ピーター&ポール教会
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ステンドグラスが荘厳でキレイ~
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正直、英語読みだとピンとこないケド、
ピーターはペテロ、ポールはパウロでいいのでしよね?
と、思ったのですが、

毎度おなじみウィキの「ペトロ」によると

>後に同じ言葉のギリシア語訳である「ペトロス」(主格。格変化語尾を除いて名詞幹のみにしたカトリック教会の慣用日本語訳表記で「ペトロ」となる)という呼び名で知られるようになる。「ペトロ」はカトリック教会とエキュメニズムの『新共同訳聖書』の表記法であり、日本の聖書用語に大きな影響を与えたプロテスタントの『文語訳聖書』とプロテスタントの他の翻訳では「ペテロ」と表記される。

>一方、カトリックから分離した経緯をもつプロテスタント諸教会では、ペトロの権威は継承されるものでなく、彼一代限りのものであるという解釈を示している。また多くのプロテスタント教会ではペトロを「聖ペトロ」・「聖ペテロ」と呼ぶことはしない。

なんだかややこしいワ~。
因みにわたくしが行ってた日本の公立学校では「ペテロとパウロ」で習った気がいたします。
(関係ないケド、中学校では「アレキサンダー大王」だったのが、高校では「アレクサンドロス大王」でないとダメだったワ。)

HPによると、1869~70年に建てられたカトリック系ということで、
中国系信徒の拠り所となったようです。


グッド・シェファード教会
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内も外もお掃除中。信者の方がいなかったので、写真撮らせて頂きました。

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聖書に因んだ「善き羊飼いの教会」ということで、
カトリック系としてはシンガポール最古なのだとか。

歴史は1832年から。
小さな礼拝堂からスタートして、1847年に新しい教会が完成。
1888年にはマラッカ教区の復活をきっかけに大聖堂に昇格。


もちっと深追いしてみると…、

>Father Jean-Marie Beurel , priest and missionary, founded the Cathedral of the Good Shepherd, the St. Joseph's Institution and the Convent of the Holy Infant Jesus schools in Singapore.
ジャン・マリー・ビュレル神父は、司祭で宣教師、
シンガポールのグッド・シェファード教会や、聖ジョセフの男子校、現チャイムスの女子修道院学校を設立した。

ということなのでしかね?
そればかりか、

>He also helped build the Church of St. Peter and Paul along Queen Street, the Church of St. Joseph in Bukit Timah and the Church of the Nativity of the Blessed Virgin Mary in Upper Serangoon Road.
聖ピーター&ポール教会等の建設にも尽力。

(byウィキの「Jean-Marie Beurel」)

Father Jean-Marie Beurel ってなってるから、
デュマやバッハのように、同名の親子かって思ったけれど、
Fatherって神父さまのことをいうのね(爆)


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コロニアル・シンガポール ~2つの聖ジョセフ~ [シンガポール旅行]



「聖ジョゼフ シンガポール」と入力してもすぐにはヒットしなかったワ。
ああ、シンガポールでは英語読み、ジョセフだったのねん。

ジョゼフといえば…、
お馴染なのは、ルイ・ジョゼフ・グザビエ、
おフランスの王子様。
(男装癖のある年増が趣味?―ウソウソ、オスカルに恋心抱いてただけ)

ドイツ語読みではヨーゼフ。
いろんなヨーゼフさまがいらっしゃるケド、
イチバン馴染みが深いのはやっぱ犬。
(アニメ「ハイジ」んところのセントバーナード)

で、キリスト教文化には造詣が深くないどころかとっても疎いわたくし、
聖とつくからには聖人なのね、どんな人?
と「ヨセフ(ヨゼフ)」(聖書の日本語表記による?)を検索してみたのですが、

ウィキによると、おや、四人も…。

>聖書に登場する人物だけでも、以下のように4人のヨセフがいる。

  • ヨセフ (ヤコブの子) 旧約聖書の創世記に登場するヤコブの子ヨセフ。
  • ナザレのヨセフ マリアの夫、イエスの養父、大工のヨセフ。
  • アリマタヤのヨセフ 新約聖書の登場人物、イエスの賛同者であり、その遺体を引き取った。
  • ユストとも呼ばれるヨセフ 新約聖書の登場人物(聖使徒行実1章23節に登場)、マティアとともに、ユダの代わりの使徒の候補に立てられた。

わはは、これ以上、追求する気は失せたワ。

恐らく一般的には2番目を指すっぽい気がするのですけどね。


ラッフルズホテルの周辺には沢山のコロニアル建築群が。
民間の建物も多いけど、目立つのは官公庁関係や教会でしょうか。

最初に訪問したのが聖ジョセフ教会、

夭折したフランス王太子の名前と思うか、イエスの養父(老人の姿で描かれてることが多いのだとか)と思うか
はたまたアルプスのカタツムリを食べて昼寝してる遭難救助犬と思うかで、
イメージ違ってしまうのですが。。

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何だかかつてのチャイムスを偲べそうだワ~♪
わたくしの好きな教会ってこんなタイプ~~。

ありっ、こんなところにアズレージョ(ポルトガルのタイル)??
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遺跡としてではなく、信者の集う場所として現役で機能しているようで
見学を躊躇われたのですが、
内部をそっとうかがっていると信者の方が招き入れて下さいましたワ。

出勤前のお祈りの方が頻繁に出入りされていて
聖人の像や絵付けのステンドグラスがとてもキレイでした。


政府観光局の案内によると、

>現在この聖ジョセフ教会のある場所に、1825年、神父フランシスコ・ダシルバ・ピント・エマイアはポルトガル使節団を設立しました。

>シンガポールで初めてのカトリック礼拝の場であった古い教会の建物は1906年に取り壊され、新しい教会が1912年に開かれました。

とのこと。
あ、だからアズレージョがその記念に残されていた?(勝手な想像)

更にちょこちょこっとあちこちかじる様に読んでみたら、
東南アジアではイエズス会系の神父さまがタッチされた施設に聖ヨセフの名を冠したものが多いようで…。


同教会のHPによると、
1829年に、シンガポール最初のカトリック教会が建設され、
1853年、新築工事(51年開始)をへて、聖ジョセフ教会として正式オープン。
1887年以降、がっつりマカオ教区の管轄だったようです。

あぁ、だからわたくしお好きなのね~。
(マカオとかマラッカの名前がポルトガル語の建物ってなんだか郷愁を誘うワ)



聖ジョセフ教会から暫く歩くと、
現代美術を展示するシンガポール・アート・ミュージアムが。
(現代美術には興味がないので内部はパス)
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こちらの建物、元は、
「聖ジョセフ・インスティチューション」という男子校だったそう。

ギ、ギムナジウム~~? はぁはぁ…!(違うって!)

当時の写真が。
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聖ジョセフ同士なんで関連校か何かと思ったのですが、
どうも関係ないようで…?


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コロニアル・シンガポール ~聖なる幼子イエスの修道院ことチャイムス~ [シンガポール旅行]



くどいです。
くどいですが、も一槐。

わたくしを二度目の旅に誘ったのがこの写真集。
(確認してみたら初版が1984年)

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マレーシア その5 マラッカ 129.jpgマレーシア その5 マラッカ 131.jpg

最初の訪問でこの萌え萌え本を買って、
翌年新婚旅行の帰りに寄るのですが…、




お目当ての建物はこんな姿に…!



(加工してブルーシートや人物消しちゃってますが解体工事中)

  

ええぇぇぇぇ~~~~?!
愚行というか暴挙に愕然としたワケですが、
その後取り壊されたのではなく、
改修されてレストランやショップ、バー、結婚式場などの複合施設「チャイムス」として活用されていると知り、
一応一安心することに。


ただの修道院だと思っていたのだけれど、ちょっとだけ追求してみたら
「聖なる幼子イエスの修道院」という女子学校+孤児院だったみたいでしね。
「Chijmes」の「Chij」って、「聖なる幼子イエス(the)  Convent (of the) Holy Infant Jesus」 の略らしいです。

因みに内部はこんな様子。
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でも、キレイになり杉たチャイムスにはさほど興味も沸かず、
ま、こんなカンジということで。。

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シンガポール 255.jpg背後がお堀みたいに低くなっててテーブルが並ぶ

一応、カフェにも寄ったりして。
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そういやわたくしたちってかなり英語の拙いばカップルですが、
シンガポールの接客でイヤな思いをしたことってなかったですね~。
飲食店なんかだと笑顔のステキな人が多かったし、そうでなくてもみんななんだか自然体~。


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シンガポールの食 1 [シンガポール旅行]



「名物にウマいものなし」とはいうけれど、
わたくし馴染みのないもの食べたがり♪
日本でも外国でもローカル・フードに興味津々、一応試してみたいタイプでし。

そればっかり毎日続くというならまた話は別ですが、
(これは和食であってもムリ)
少なくともたまに食べるなら美味しそうな
未知なるお料理やスウィーツが
シンガポールにもいろいろ…。

いつに何を食べるか割り振り切れないぐらいで、
出発前はそれがお悩みというか課題だったワ~w


ということで、

半ばノルマを果たすかのように
まず食べなきゃならなかったのが(?)

カヤ・トースト。

町には有名な「ヤクン・カヤ・トースト」という老舗コーヒー・ショップチェーンもあるのですが
(空港にあったのだけれど、さすがに開店準備中。東京の豊洲にも支店があるとか。)
ラッフルズ内で食べられるということで、こちらアー・テンズ・ベーカリーへ。
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おぉっ、シンガポールスリングが生み出されたという「ロング・バー」はお隣だったのねん。
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朝はサンドウィッチとかナシ・レマ(ご飯もの)のセット等があったような。
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今やココ家ではお馴染となりましたが、
シンガポール初日は想像のつかないお味。。

サクサクトースト(その老舗チェーンでは炭火で焼いてるのだそうです)に
バターとカヤジャムを挟み、
温泉卵状の半熟卵をつけて食べる?

カヤジャムというのは
ココナッツミルクと卵に、シロップや砂糖、甘い香りのバンダン・リーフというハーブを加えて作られたジャムで、
カヤってマレー語で繁盛とか成功とかいう意味があるのだとか。

食には保守的なところがあるクラノスケのことだから、
割と当たり前なもの選ぶだろうと踏んだのだけれど、
彼もカヤ・トースト・セットが食べたいということで、
急遽何にするか迷ったけれど、
(ココ家では同じメニューの選択は有り得ない)
コンチネンタル・スタイルのクロワッサン・セットみたいなのにしたワ。
(おねえさんが親切にこれはこんなのとセット・メニューの説明して付き合って下さったワ)

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で、
宿泊に付いてる明日からの朝食ビュッフェで、クロワッサンなんて毎日お目にかかれるんぢゃ…と、後悔。。
なんでこんなのにしたんだろー、、、と、思ったのだけど、

カヤ・トーストが口に合わなかったときの保険と、
明日から英国スタイルと思ったらコンチネンタルにしたかったとか?
いえ、実は
ラッフルズホテルのハイ・ティーだかブランチには
エシレのバターを使ってるというのをどっかで読んで、
ひょっとしてこのクロワッサンや添えられたバターもエシレ?なんて…。
でも、実は実はイチバン引っかかってるというか、根底にあったのは
いつだったかエシレのバター・ケーキの画像を見て以来、
食べてみ隊~~、だれか東京行きません?!な、思い。。
(バターもクロワッサンもいいのョ、このこってり甘そうなのを試してみ隊…!)

あ、カヤ・トーストですよね。
おねえさんに8分待ってって言われけど、それって…
半熟玉子作る時間?

美味しうございました。
想像してたよりあっさり優しい幸せになれそうな味でしたね。
(もちっとキョーレツというか個性的なコッテコテ土着メニューかと)

スーパーで買ったカヤ・ジャムは叔母へのお土産になっちゃったので、
結局、ここと朝食ビュッフェで食べたのと、ホテル・ショップで買った分、つまりラッフルズのお味しか知らないのですけど。

大阪にもカヤ・トーストを食べられるところがあるようで
嬉しい♪
ジャムはネットでも買えそうだケド…、高いワ~。


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コロニアル・シンガポール ~ラッフルズホテル 2~ [シンガポール旅行]



最初に訪れたのはありんこ先の旅行で、
その時はシンガポールスリングを飲んだだけだったワ。

二度目はその翌年、
ティフィン・ルームでカレーのランチ。

いつかは泊まりたい…ケド、一生ムリだワ、多分。。と思っていたのだけれど…。

えへへ、
分不相応を地で行くココ家のサマー・ホリデイ、
ネットで2泊すれば1泊無料プランというのを見つけて、
んん?朝食付き?料金+でパーム・コート宿泊もあり??
あ、案分すればその辺の大手資本の高級チェーンホテルとそんなに変わんないんぢゃないの?(いつもこの発想)

ということで、
決て~い♪

チャイナ・タウンの伝統的ショップ・ハウスを改築したホテルでオシャレでディープなローカル・バケーションを、
というプランは
もろくも崩れ去ってしまいました。


過去2回のシンガポール訪問は
いずれもたった中1日の駆け足旅行だったので、
地図も頭に入っていなくて…。

今回滞在してみて判ったのは
場所がシンガポールの行政の中心地、シティ・ホールで、
コロニアル建築群の一つとして地域を構成してるということ。

ショップや地下鉄の駅も近くて
意外にも観光の足がかりとするにはとっても便利な立地だというのは嬉しい誤算でもありました。


クラノスケがセーフティーボックスいじってる間なんかに
連続して撮影してたのだけれど…、
とっても短いあさぼらけ?

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とりあえず朝ごはんを食べに外へ。
(一応機内食出たんですが、なんっかねー。。あれは不要~!着陸するまで寝てたい~。)

ホテルでは滞在客はレジデンスと呼ばれるのだとか。
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ホテルへの出入りは渡された鍵を使い
わざわざフロントに寄らなくても良いシステム。
これって普通のカード・キーの場合でも同様ですが、
ラッフルズの場合は…、
建物や庭のあちこちに「レジデンス・オンリー」の門扉なんかあって、
鍵を差し込まないと、エレベーターも動かなかったりします。
滞在客でなければロビーより奥には入れないことになっていて、
顔を憶えてもらってない間はエントランスで呼びとめらたワw


以下の写真は滞在客でなくても出入り出来るエリア
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コロニアル・シンガポール ~ラッフルズホテル 1~ [シンガポール旅行]



Raffles Hotel Singapore

1 Beach Road

ホテルHPを見てみたら、
ラッフルズの住所ってビーチロード1番地なんですよね。

ウィキによると、

>ラッフルズ・ホテルはイギリス植民地時代の1887年12月にイラン出身のアルメニア人のサーキーズ兄弟によって、客室数わずか10室のバンガローをホテルにして開業した。
なお開業当時は海沿いにあったのでビーチハウスと呼ばれていた。
1899年には現在の原型となるコロニアル様式の建物が完成し、ヨーロッパ諸国から「スエズ以東でもっともすばらしい施設」と高い評価を得た。

とのこと。


廊下を歩いていると、こんな一角が。


ホテルの歴史を刻んだ写真や絵図の数々。
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右下はホテルの名前の由来となったラッフルズ卿。

シンガポールの創設者ということなのだけれど、
1819年にこの地に上陸、ジョホール王国から割譲、植民地建設を推し進めた人。

1823年イギリスに帰国、1826年没ということなので、
サーキーズ兄弟が卿に敬意を表してホテルに命名した1887年にはとっくに故人、伝説の人物だった訳でしね。
(因みに生まれは1781年、アメリカ独立戦争中、日本は天明年間。)

卿(サー)の称号がついてらっさるので、お貴族さまの生まれかと思いきや、
ウィキ等によると、
ロンドンの東インド会社の職員(書記官)として働きはじめ(1795)、ペナン赴任(1805)を経て、ジャワ島への遠征軍参加(1811)、
ジャワ準知事在任中に、ボロブドゥール遺跡発見。
帰国(1815)後、「ジャワの歴史」を執筆(1817)、ナイトの称号を授与されたのだとか。
翌年スマトラのベンクーレンに準知事として赴任し、シンガポール植民地化に着手。

シンガポールに滞在したのは意外にも短く、1822年から1823年にかけての間ということなのですが、
(実際に現地で開発を行ったのは知事というか司令官のファークワー・William Farquhar?)
高級ホテル・チェーンとして世界に名を残すことになったのでしね。

写真を眺めていると
欧米人のための社交場として建設、アジア人はお呼びじゃなかった感が伝わってまいりますワ。
日本軍による接収の歴史もあったりして。
人によって色々な感情が交錯する場でもあるでしょうね。
(どーもお盆を前に東南アジアにバカンス行くというのはちょっと複雑なキモチが伴うものです。
 ついでに申し上げると、
 帝国主義や先の大戦中のことをある立場からのみの視点で短絡的に断言されるのって
 結構イヤだったりするワ。)




こんな折なので昔チックに写真を加工♪

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話は飛びますが、電車の撮影に限っては見事なばかりにコンデジを操る鉄ヲに
ついにこの春ニコンのデジ一を買ったのですが、
…やっぱイイですよね~。

レンズ交換が面倒、重い、持ち運びがやっかいとかいう理由に加えて、
あくまで記録媒体、写真表現やカメラそのものには興味のないわたくしには
到底使いこなせそうにない代物。。
豚に真珠?どーせマニュアル撮影なんか出来ないワョ、
(クリア杉る人物写真というのもキョワイしw)
で、中型機でのモード撮影駆使してきたわけですけど、

こんなところに落ち着いて撮影出来るなら、
羨ましいというか欲しくなっちゃいますわね~。



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コロニアル・シンガポール ~「おまえにチェックイン」?!~ [シンガポール旅行]




空港に着いたのが朝の5時過ぎなのだけれど、まだ夜明け前。
電車の始発を待つ旅行客の方達と一緒に6時になるのを待ってタクシーに乗車。

オレンジ色の照明が続くハイウェイを市内に向けてひた走り、船を載せた三つの塔のような形の新しく出来たランドマークビルを左手に見ながら街に滑り込むと、間もなくして目の前に広がったのは…、









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(写真は別の時に撮影したものだけど)

静謐な時の中に煌々と明かりを灯して佇むラッフルズ・ホテルの正面玄関ファサード・・・!



キャー、カンゲキ~。

チェックインは夜に限る?!(朝だけど)
ペナンのチョン・ファッ・ツィー・マンションでのチェックインが思い出されたワ。(あの時は妖しさに感動したものだけれど)





タクシーが車寄せに到着すると、到着時刻のメールを入れておいたおかげで
レセプションからお出迎えが。

チェックインタイムまでとりあえず荷物を預かって下さいとお願いしていたのだけれど、
リクエストしておいた2階の部屋をすぐに使わせてもらえることに。





熱帯では…、
日没とともに闇が立ちこめ、日の出とともにボンッと明けるらしい?

黄昏や曙といったような時間帯はほぼ無いに等しく、
着いたときは真っ暗だったというのに、
あれやこれやの後部屋を出たらもうこんなに。


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シンガポール 021.jpg 響くのは小鳥のさえずりだけ~

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シンガポール 045-2.jpg 壁に朝日が






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わたくし暫くラッフルズのレジデンス~[ぴかぴか(新しい)]

(おほほ~、タイトル、お品がなかったかしら~?)





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プラナカンとコロニアル Ⅱ [シンガポール旅行]



例年よりすこしずれてしまいましたが、
今年も、とっととバケーション行って参りました。
(すでにココ家の今週、もう日常。。)


今回の旅行、テーマは、
プラナカン(ペラナカン)とコロニアル♪

そもそもの出会いは…、
シンガポール?
ショップ・ハウス?

ありんこ時代、大した期待もせずに出かけた慰安旅行、
(あったのはマーライオンのイメージだけ?)
よく見ると、萌え♪な世界ではないの?

で、お土産に買ったのがこんな本。
(カート買って、茶器と一緒に運んだわ~)

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マレーシア その5 マラッカ 128.jpg

マレーシア その5 マラッカ 129.jpgマレーシア その5 マラッカ 131.jpg

実は、コロニアルな修道院が激萌えポイントでして、
翌年の新婚旅行、シンガポールに寄ったりしたのですが、
結果は以前書いたとおりでして…。

http://casa-giallo.blog.so-net.ne.jp/archive/200711-2
http://casa-giallo.blog.so-net.ne.jp/archive/200710-1

そのとき、
およっ、このキュートな建物群は何?と、思ったのが、
ショップハウス。

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マレーシア その5 マラッカ 136.jpgマレーシア その5 マラッカ 133.jpg

でも、ご覧の通り、皆が皆、一階店舗・二階住居の長屋スタイルではなく、
住居のみの機能しかもたない家屋(テラス・ハウス)もあるようで…。
後に、このデコラティヴな建物をプラナカン・ハウスと呼べばいいのね~と、納得。


思い起こせば、
マラッカに関心をもつきっかけになったのも、
帰りの機内で、暇に任せてありんこ先の方のガイドブックをお借りしたのが始まりでした。
ポルトガル…、オランダ…、砦、朽ちた教会…。(萌えなキーワード)
いつか訪れたいものだわ…。―by心の呟き


でも、それより以前…、

シンガポールのわたくし的象徴、―ラッフルズ・ホテル。
こーんな切り抜き、保存してるざんすよ。

スキャン0008.jpg  スキャン0009.jpg

たった4ページのイラストですが、
しょうじょの心になんかを刷り込んだのでしねー。


・・・
デ・ジャ・ヴ??

えへへっ
2年前のペナンの時の記事、そのまんま貼っつけてみました。


テーマは一緒。
続きのようなもので場所は変わってシンガポール♪


写真集以外のナビといえば、「地球の歩き方」とやはりこちら。
スキャン0001.jpg  スキャン0003.jpg


ペナンも良かったケド、
シンガポールも面白かったです。

暫く旅行記続く予定で~す。


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